梅雨の長崎旅行(その1)

急に思い立った現実逃避行や死に場所探しのネガティブ旅行ではなく、何年かぶりに前々から計画した旅行のための旅行に出かけた。

もし下り北斗星の切符がとれたら北海道に行くつもりだったが、残念ながら地元駅の一ヵ月前事前受付順位No1.の成果も叶わず、思い切って行先を真逆の長崎にした。
週休2日に有給3日をくっつけて5連休を貰い、7月6日にいつものJR高速バス昼便でひとまず大阪へと向かった。

バスはしばしば利用する臨時便"東海道昼特急301号"の運転日に該当しなかったので、少し出発の遅い定期便"東海道昼特急3号"を東名向ヶ丘バス停から利用した。
当日は生憎の雨だったが、傘を要するほどの勢いでは無かった。

定刻の08:20少し前、三菱ふそうエアロキングが停留所至近の東名川崎料金所から姿を見せた。
小雨が降る中、運転士に慌ただしくスマホの指定券pdf画面を見せ車内へと入った。
このバスは東京駅始発なので、東名向ヶ丘から乗車したときにはほぼすべての席が埋まっていた。

私の席は、指定券を購入した時期が早かった事もあり2階席最前列だった。
本来は1階席最後列がお気に入りポジションなのだが、残念ながら何時の間に高速バスネットでの席番指名買いが出来なくなってしまっていた。

座席は、これまで利用した事のある301号とは異なりどっしりした座り心地の良いものだった。

神奈川県内では小雨程度だったが、神奈川静岡県境付近の山間部に入ると雨足が強まってきた。
画像
御殿場停留所は高速道路本線側道にあるタイプではなく、インターチェンジランプを降りたところにあった。
上手い具合に、料金所を出ずに済むポジションに高速バス専用レーンが設けられており、そこに停留所待合室が設置されている。
静岡県内にはこのタイプの停留所が多い。
バス停の柵の間隔が広いので、バイクならば高速料金を払わずして縁石を乗り上げ一般道に脱出出来てしまうのではないか?と心配になる。

足柄SA.で小休止の後、なだらかな下り勾配を進むと駿河湾沿岸に出た。
晴れていれば左手に伊豆半島、後方に富士山を臨む事が出来る景勝地だが、生憎の天気でそのいずれも見えなかった。
画像
静岡県内では降ったりやんだりの繰り返し。
フロントガラスにはワイパーが設置されておらず水滴で視界が遮られるので、うつらうつらと眠りに落ちた。
目が覚めたら、浜名湖SA.だった。
雨も止んでいるようだったので外へ出てみた。
画像
朝、溝の口のモスバーガーで軽食を食って以来何も食べていなかったので小腹がすいていた。
蕎麦の匂いを嗅いだらどうにも我慢が出来なくなったので、20分休憩を利用してフードコートで蕎麦を食って行くことにした。
が、出てくるのが異常に遅く時間がタイトになって来たのでやむなくキャンセルした。
首都圏のSA.と田舎のSA.とでは時間の流れが違う様だ。

三ケ日ミカちゃんで一旦高速を降り、運転士交代。
再び東名へ戻り、伊勢湾岸自動車道、東名阪自動車道、新名神高速道、名神高速道、と渡り歩き、京都東インターで一般道へ降りた。
この東海道昼特急3号は、301号とは異なり京都駅前に寄って行くタイプ。
『雨による遅れが酷かったら京都でバスを乗り捨て電車で大阪へ行こう』と考えていたが、京都駅には若干の早着だった。
京都駅で乗客の1/3程を降ろし、京都南インターから再び名神高速へ。
畿内に入ると完全に雨は止んだ。

千里ニュータウンで数名の客を降ろし淀川を渡れば間もなく大阪駅。
画像
大半の客はここ大阪駅で下車して行き、2階席は私の他サラリーマン風の男性1名のみとなった。
何時も利用する301号の場合この大阪駅が終点なので私もここで地下鉄に乗り換えるのだが、この3号は難波の湊町バスターミナルまで行ってくれるので、終点まで乗ってみることにした。
その方が地下鉄四つ橋線への乗り換えがより便利だし、フェリーターミナルまでの地下鉄代が40円ばかり安くなる。
大阪駅から難波までは下道の四ツ橋通りを走るのかと思いきや、わざわざ阪神高速11号線に乗り、1号線、15号線と渡り歩いて難波へと向かう。
おかげで高いところから大阪見物が出来た。

右手眼下に見えるのは桜で有名な日銀大阪支店。
画像
東海道昼特急301号のシートは単に4列シートをばらけて3列にしただけだが、この3号のシートはご覧の通り初めから3列シートに特化して作られた幅広シートなので、8時間半乗っていても苦痛にならなかった。
画像
定刻より10分ほど早い16:50頃、大阪湊町バスターミナルに到着した。

湊町バスターミナルは四つ橋線なんば駅と隣接していた。
一先ず四つ橋線の乗り場だけ確かめ地上に出ると、たまたま目に入ったコンビニで発泡酒を買い、店頭の吸い殻入れの前で一服した。
当たり前と言えばそれまでだが、途中高速道路のSAではアルコール類は陳列されていないので、煙草は兎も角アルコール禁断症状が出始めていた。

心が落ち着くと再び地下に降り、四つ橋線とニュートラムを乗り継いで南港フェリーターミナルへ移動した。
小さなことだが、何時の間にか"フェリーふくおか2"の"2"の文字がアラビア数字からローマ数字の"Ⅱ"に変わっていた。
画像
去年の暮、急に厭世的になり死に場所探しに九州へ出かけた。
『九州で死のうか、いや遺族呼び出しや遺体搬送などで義姉に迷惑がかかるから自宅近くに戻ってから死のうか・・』などと悶々と考え、この港と門司の間を行ったり来たりしていたのが今では信じられない。
今でも貯金ゼロのじり貧状態、今後の収入に大きな期待も見いだせない暗黒の経済事情に何ら変わりはないが、どうした事か『死んでしまおう。』という考えは殆ど起きなくなってしまった。
人間最底辺まで落ちると意外と図太くなれるのかもしれない。

フェリーターミナル近くのセブンイレブンでまた発泡酒を買い、歩き飲みしながらブラブラと搬入車両用駐車場を横切って居たら、なにわナンバーのトラック運転手が運転台から何か大声で叫んできた。
『危ないからどけ』と言っているのかと思って聞き返したら、日焼けした顔に白い歯を見せながら「うんまそうやな~!わいも飲みたいわ!」と言っているのが分かった。
思わず笑ってしまった。

出港80分前の18:30に乗船開始。
このタラップを歩くのももう何回目になるか覚えていないが、今日ほど軽い気持ちで歩くのは初めてだった。
画像
太平洋フェリーの豪華さを知ってしまった今となっては名門大洋フェリーの内装を見ても驚かないが、しかしこのエントランスの落ち着きのある色調は好きだ。
画像
今回も二等洋室の端っこ、(向かい側に誰も居ないポジション)を確保できた。
理由は良く分からないが、従来存在した"特別二等洋室A"が等級廃止され、すべて"二等洋室"に統一された。
このため"特別二等洋室A"の付加価値部分であったTVは撤去された上で、TVがあった場所はご覧の様に化粧板で覆われていた。
画像
何時もは大阪で何か食ってからフェリーターミナルへ移動するのだが、今日はいつもより時間の遅い"東海道昼特急3号"でやって来たため、何も食って居ない。
営業開始と共にレストランの夕食バイキングを利用した。
画像
いつも真っ先にご飯ものに手を付け早々に食い死にしてしまう反省から、今日はメインを麺類にして、惣菜を重点的にチョイスした。
画像
関西弁と筑豊弁が嵐の様に飛び交うのが普通の名門大洋フェリーのレストランだが、今日は乗客も少なく至って静かだった。
修学旅行生だの、中高生部活遠征試合グループなんかと一緒になると騒がしさに拍車がかかるのだが、団体さんも中年グループ一組しかいなかった。

長崎に着いたら皿うどんを食いまくろうと考えていたのだが、名門大洋フェリーのバイキングの中に皿うどんがあったので、早くもここでお代わりしまくった。
画像
食べている途中で出港した。
搬入車両も少ない様で、定刻通り19:50の出港だった。

ご飯ものは最小限に抑えたものの結局は食い意地が張って食い死にしてしまったため、寝台で30分ばかり横になった後甲板に出てみた。
生憎の曇天で月明かりは見えなかったが、自船の引き波の中に光る夜光虫が夢の様に美しかった。
画像
本船は神戸市街地の沖合を航行中。
画像
21:05頃、大阪出港後最初のイベントである明石海峡大橋通過。
画像
海峡通過後、本船は船体を傾けながら大きく取舵を切って播磨灘へ繰り出す。
画像
この後バラバラと雨が降り出してきてしまったので、瀬戸大橋を見ることも無くジェイゾロフトを飲んで寝ることにした。
寝室の非常扉を隔てた展望サロンでは、夜遅くまで中国語の笑い声が聞こえていた。

深夜に尿意を催し目を覚ました。
時刻は2時を少し過ぎたくらいだった。
外に出てみたら、丁度来島海峡に進入する頃だった。
下り便で来島海峡通過時に起きていたのは初めてなので注意深く周囲を観察していたところ、どうやら本船は中水道を通過している様であった。
右舷前方に目をやると、大三島宗方地区と思しき寂しい灯りがキラキラと煌めいていた。
『次の旅行は、また"大三島ふるさと憩の家"にしたいな。』、そんな事を考えながら、また寝台へ戻った。

「梅雨の長崎旅行(その2)」へ
http://shiunmaru.at.webry.info/201507/article_2.html

"梅雨の長崎旅行(その1)" へのコメントを書く

お名前
ホームページアドレス
コメント