青春18きっぷ 白馬旅行
9月7日(金)
当日の夜に、急に思い立って指定券を確保した。
何処に行って何をするかも全く決めていなかったのだが、会社のPCで"えきねっと"を見ていたところ、つい先ほどまで満席を示す×印だった今夜のムーンライト信州号が一瞬△に変わったため、発作的に指定券を申し込んでしまった。
会社を20時ごろ出て、一旦帰宅。
1時間半ばかり家でゴロゴロした後、0時近く南武線で立川に向かった。
週末の夜という事もあり、立川駅は酔っ払いの大声が四方から飛び交い非常に猥雑な雰囲気だ。
ムーンライト信州は、乗車率半分くらいの状態で新宿からやってきた。

"えきねっと"で見る限り満席との事だが、車内にはそこそこ空席があり私の隣も誰も居なかった。
振り返ると、後ろの列も二席とも空席だったので、恐らく4人グループが今日になって突然キャンセルしたのかもしれない。
後ろに誰も居ないので、遠慮なくリクライニングをいっぱいに倒した。
深夜とは言えまだまだ通勤電車待ちの酔客がごった返す週末のホームを、非日常的なリクライニングシートの列車で滑り出すのは気持ちがいい。
次の八王子でさらに客を拾ったが、私の隣や後列には誰も来なかった。
ここを過ぎればもう客が乗りそうな駅は無いので、一安心である。
さて、今に至っても未だどこで何をするか決めていない。
このまま富山に出て、氷見あたりで一泊して帰って来るか。
あるいは、前回彦根に行ったときの様に中央西線で名古屋に出て関西のどこかで一泊し、東海道で帰って来るか。
でも、そうすると今からホテルを探さなければならないし、折角信州行きの列車に乗るというのに、信州を素通りするだけになってしまう。
あれこれ考えた末、結局宿泊はせず白馬で温泉にでも入り、昼くらいの電車で折り返して今夜はおとなしく帰宅することにした。
そうすればホテル代の出費も無しで済む。
結論が出たのは、既に甲府盆地の夜景が左手眼下にチカチカときらめく頃だった。
今週は割と寝不足の日が多かったのだが、今日はあまり眠くならない。
月曜の晩と火曜の晩に至っては、この頃すっかり固定化してしまった情緒不安定で2泊3日一睡たりともしなかったのだが、そのしわ寄せもない。
韮崎あたりまでは列車は概ね甲州街道に沿って走る。
照明に照らされたアスファルトや、路肩に駐車して仮眠している車を見ると、毎週末の様に深夜の甲州街道を走って出かけていた若い頃を思い出す。
「あぁ、俺もあの辺りで仮眠したっけな~」とか「あすこでガードレール越しに立小便したなぁ~」「あの鈴与のGスタンド高かったな~」等々・・・
この列車は所謂バカ停をやらない代わりに、大変のんびり走る。
立川を出て以降100km/h以上出したと思われるのは、恐らく岡谷と塩尻の間の新線区間だけだと思う。
松本では登山者風の客がかなり降りていった。
前回のひこにゃん旅行の時は冬だったので真っ暗だったが、9月の今は松本を出ると間もなく空が白み始めた。
暁時の北アルプスの方角にはぼんやりと靄がかかり、そこに山稜があることは分かってもその輪郭までは視認できなかった。
だが、稜線がカッと朝日を浴びた瞬間、それは予想していた位置より一層高い地点に威圧的なまでに神々しくその輪郭をあらわにした。
藍色に沈む中腹と空の中間に、あたかも宙に浮くかのごとく、こつ然と姿を現した白い山稜。
息が止まりそうなほどに美しい。
洋の東西を問わず、山が宗教と直結している理由が分かる。
信濃大町では松本よりもさらに多くの登山客が降りて行った。
前回はここで折り返したが、今回は終点の白馬まで乗るので途中仁科三湖の神秘的な朝景を楽しむ事が出来た。
余談だが、『犬神家の一族』1976年版で犬神佐清に成りすました青沼静馬が湖面に足を突き出し溺死体で発見される有名なシーンは、ここ青木湖で撮られた。

本当に、この大糸線の車窓というのは癪に障るくらいステキだ。
昨夜自分が居た世界と、今自分の居る世界とのこのギャップはどうだろう!?
青木湖を過ぎてちょっとした高原を超えると、車窓に建物が増え始め5:40に白馬駅に到着した。

この頃は東京でも早朝は大分過ごしやすくなってきたが、白馬の朝はまた更に清々しい空気に満ちていた。
駅前に出ると、いきなり真正面に白馬岳が鎮座していた。
予想より近く、高く朝日に輝いている。

予報に反して、今日も思い切り晴れそうだ。
「こんな早朝から何処も店などやってないだろう」と思いきや、駅を背にして左に一軒、右に一軒食堂が営業していた。
左側のは蕎麦屋の様だ。店頭の蕎麦汁の匂いを嗅いだら無性に食いたくなったのだが、店は狭く生憎満席の様である。
仕方がないので反対側の食堂へ行ってみたところ、こちらは蕎麦専門店ではないものの"手打ち蕎麦あります"と書かれていたので、ここに入ることにした。
早速蕎麦を注文したら、なんと朝は蕎麦はやってないんだそうだ・・・ うどんならできるという。
折角信州に来たのだから蕎麦を食いたかったが、仕方なくきのこうどんにした。
だが、これはこれで中々美味しかったので一先ずよしとする。

白馬にはいくつかの魅力的な温泉があるが、どこも営業時間は10時頃からだから、まだ大分待たなければならない。
調べたら、"おびなたの湯"というのだけ9時オープンで、しかも駅から一番遠い。
遠ければ遠い分歩きながら時間を稼ぐことが出来るし、いくつかの温泉の中でも最も山に近く景色のよさそうな場所なので、温泉のそばまで行って時間をつぶすにも好都合だ。
6:30頃駅前の食堂を出て歩き始めた。
駅を出ると直ぐになだらかな上り勾配が始まるが、こんな雄大な景色を正面に見ながらの歩行は、寝不足にも関わらず快感だった。

途中から段々道が細くなる。

沢筋を右手に見ながら、気持ちの良い木漏れ日の中をひたすら進むが、9月という事もありツキノワグマの出没が怖い。
羆の様に捕食されることは無いが、あんな爪で出合い頭に引っかかれたらひとたまりもない。
熊よけのために、時々「クマーーー! クマーー!」と叫びながら進んだ。
駅を出て70分。
漸くおびなたの湯に到着した。

時刻は未だ7:40頃。オープンまでまだ一時間以上どこかで時間をつぶさなければならないが、受付小屋に人の気配があったので近付いてみたら何と「営業中」の札が。
中のおじさんに聞いてみたら、本当にもう営業しているらしい。
これはラッキーだ。他の風呂じゃなく"おびなたの湯"にして正解だった。
しかも、本来500円のところ、「今日はね、半額で良いよ」との事。理由は分からないが、安くしてくれるのに文句は無い。
風呂はロケーション抜群の素晴らしい露天風呂だが、生憎頭上はアブ除けと思われる白い蚊帳で覆われていた。
こんな時間なので他の客は誰も居ない。貸切状態だ。

旅行案内には「営業時間9:00~」と記載されているから、誰もこんな早くから営業しているとは思っても居ない事だろう。
この温泉はph11.8の強アルカリ泉。
一般にph値が低ければ低いほど酸度が強く肌への刺激が強くなるイメージがあるが、さすがに11.8ともなるとアルカリとは言えどもこれはまた強酸性泉とは別の感覚で肌に独特の刺激を加えた。
それはこの後帰途の歩行で如実に現れることになる。
この風呂に9時半頃まで浸かり、30分ほど歩いて10時オープンの倉下の湯にも梯子しようかと思ったが、ここがあまりにも居心地が良いので結局10時半頃までここで長湯することにした。
さすがにこの時間になると、他のお客さんも入ってきたので、入れ違いに風呂をあがり駅へ戻ることにした。
ここからだと、白馬駅も一つ北隣の信濃森上駅も同じくらいの距離なので、白馬駅界隈より素朴で静かであろう信濃森上駅へ下りることにした。
帰りはひたすらなだらかな下りなので楽だ。

が、歩き始めて30分ほどすると足の指股が痛くなってきた。
足の爪を切り忘れて、隣の足の指を傷付けてしまう事は稀にあるが、爪はきちんと切ってある。
靴も履き慣れた靴だ。
「これはさては水虫にでも感染したか?」と思ったが、どうやら強アルカリ泉効果で皮膚の弱い個所がやられてしまったらしい。
片道1時間強なので距離としては大したことはないが、歩き続けるうちに段々歩行に支障をきたすレベルに達してきた。
最後の方は、もう露骨にびっこを引いて歩くような有様だった。
予想通り、信濃森上駅方向は甚だ素朴で静かだった。

あたりは、たわわに収穫物を実らせた金色の稲穂と、真っ白な蕎麦の花とが見事なコントラストを織りなす嬉しいワンパターンだ。



その蕎麦の花の向こうに小さな信濃森上駅はあった。

朝6時頃うどんを食べただけなので腹が減った。
駅付近にコンビニが無いかと期待したが、瀬戸内海の島々同様ここでもそのようなものは望むべくもない。
ではせめてビールだけでも、と思ったが雑貨屋もない。
無いとなると、もうどうしようもなくビールを飲みたくなった。
駅前に一軒、営業してるんだか既に10年前に閉店してしまったんだか判別不能な場末感が漂う食堂があった。
抜き足差し足で暗い店内に入った。
客は誰もいないみたいだが、奥に人の気配があった。
「ビールを飲めるか?」とこちらから聞く以前に、先方が気付いて奥から初老の叔母さんが出てきた。
果たして冷蔵庫すら無いんではないか?と不安になるような店だったが、幸いギンギンに冷えた瓶ビールにありつくことができた。
コップに二杯ほどビールを注いで喉に流し込んだら直ちに幸せな気分になった。

喉を潤して落ち着いたところで、何時書かれたのか分からないようなボロいメニューの貼り紙を見上げた。

電車の時間までまだ30分ほどある。
今朝は蕎麦にありつけなかったので、冷やしとろろ蕎麦を注文した。
出てきたのは、イメージしていたのとは全く異なる甚だ見かけの悪いものであった。

凄まじい量のとろろの中に、蕎麦が埋没している感じだった。
だが、これこそ私好みの冷やしとろろ蕎麦だ。
美味いし、量も満足だ。
これだから田舎の駅前食堂は好きだ。
念願の信州そばを食い、満足したところで12:19の電車で帰途に付いた。
信濃森上から乗ったのは私の他に高校生くらいの女の子一人だけだったが、2両編成の車内は割と客が乗っていた。
多分、始発の南小谷で糸魚川からの接続を受けるタイプだったのだろうと思う。
白馬から叔母さん観光客が2人乗ってきて、ボックス席が埋まった。
話しの感じからすると名古屋の人らしい。
私の向かいの一人旅の中年男性も松本から特急しなのに乗換え名古屋に帰ると言っていた。
大糸線沿線の観光地は、意外と名古屋方面からの客が多い。
日が高くなっても仁科三湖はやはり神秘的だった

電車はワンマン運転で、解放されていた最後尾の車掌室の一角を地元の女子高生が陣取っていたが、なんとかいという小さな駅から車掌が常務してきたので、慌てて部屋から出てきた。
車掌は大変小柄で可愛らしい女性だった。
大糸線は単線だが、信濃大町以南では運転本数が多いので、ほとんどの駅で列車の行き違いを行う。
よく見ると女性車掌が乗務している列車が多い。
どこかの小さな駅で、女性乗務員の乗った列車同士行き違ったとき、双方の乗務員が乗務員室窓から手を振っていた。
敬礼ではなく、まるで友達とやるように手を振っていたのが印象的だった。
松本では6分乗継で中央東線の塩山行き普通に乗り換えた。
6両編成という事もあり、先ほどまでの大糸線とは打って変わってガランと空いて居たので、足を向かいの席に投げ出して酒を飲んでくつろいだ。
以前は確かこの電車、高尾まで走っていたような気がするのだが、何時の間にか塩山止まりになってしまったようだ。
松本の辺りでは乗鞍岳の方向に雲がかかっていたので、「このまま天気が下り坂になるのかな」と思ったが、結局その後もガンガンの日照りが続いた。
富士見付近でホンの一時かなり強い天気雨に見舞われたが、それは5分かそこいらの本当に局地的なものに過ぎなかった。

電車が塩山止まりなので、首都圏に帰るにはもう一回どこかで乗り継がなければならない。
小淵沢でこの電車を乗り捨て、30分ほど後に発車する当駅始発のホリデー快速ビューやまなし号に乗り継ぐことにした。
この電車は、215系と呼ばれる全車二階建ての割と上等な車両を使用する乗り得列車の一つだ。
今のところ自由席の乗車位置には数人の人影があるのみだが、接続の小海線が到着してしまうと混雑するかもしれないので、その前に急ぎ立ち食い蕎麦を食べた。
今日は朝からうどん、蕎麦、蕎麦、と麺類ばかりだ。
果たして行楽客を満載した小海線が到着すると、私の後ろにも結構な長さの列が出来た。
だが、収容量の多いダブルデッカー車両はこれらの客を簡単に飲み込み、いざ車内に入ってしまうと精々半分程度の座席が埋まるのみだった。

南アルプスの山稜が見える2階席進行方向右側に座った。右側車窓は西日が入るが、窓はUV加工してあるのでそれほど不快ではない。

左側の窓からも八ヶ岳は全てはっきりと見える。
韮崎のあたりまで来ると進行方向に富士山も視認できた。
今日は素晴らしい好天に恵まれた一日となった。
甲府では意外にもそれほどの乗客は無かったが、勝沼から葡萄狩り帰りと思われる行楽客が大勢乗ってきて、概ね席は全て埋まったようだ。
ここから先列車は深い谷筋を通るため、トンネルの連続。東京の高尾付近までスマホは殆ど使い物にならなくなるので外の風景に集中することにする。
往路は深夜に通り過ぎた桂川沿いの風景も、復路は2階席から十分堪能できた。
それにしても静かな車両だ。
2階建てなのでジョイントの振動があまり伝わってこないのもあるが、電車列車とは言え中間車両がモーターを持たない集中動力方式である点が大きいだろう。
モコモコと車両がきしむ音とエアコンの音しか聞こえない。
中央線は小半径の古い隧道が多いので、トンネルに入るたびに二階席の湾曲したガラス窓に壁面や通信ケーブルが迫りスリルがある。
小仏トンネルを出ると東京都だ。
鉄道は谷底を走るし、今は未だ外が薄明るいので感じないが、山の中腹を行く中央高速で夜暗くなってから帰って来ると、小仏トンネルを抜けた途端空が明るくなり、大都市圏に帰ってきたことを実感できる。
大阪の生駒トンネルと同じように、ここ小仏トンネルは都市圏と田舎とをはっきり隔てる結界の様なトンネルだ。
八王子でかなりの客をおろしたが、短距離利用の客が入れ違いに結構乗ってきた。
ごく普通の通勤電車を待っていた客にとって、思いがけず2階電車がホームに滑り込んで来たのは驚きだったようで、喜々として車内を見まわす人や、特別料金を徴収されやしないか?と気にしている人などもいた。
八王子を出る頃には外はすっかり暗くなった。
9月に入り急に日が短くなったこと実感する。
18:25、ちょうど18時間ぶりに立川に帰ってきた。
我ながら実に見事な青春18きっぷの消化っぷりだった。
これだけ使ってもまだ1日分残っている。
明日はおとなしめに鹿島神宮にでも日帰り旅行してみよう。
「青春18きっぷ 鹿島神宮旅行(未完成)」へ
http://shiunmaru.at.webry.info/201401/article_67.html
当日の夜に、急に思い立って指定券を確保した。
何処に行って何をするかも全く決めていなかったのだが、会社のPCで"えきねっと"を見ていたところ、つい先ほどまで満席を示す×印だった今夜のムーンライト信州号が一瞬△に変わったため、発作的に指定券を申し込んでしまった。
会社を20時ごろ出て、一旦帰宅。
1時間半ばかり家でゴロゴロした後、0時近く南武線で立川に向かった。
週末の夜という事もあり、立川駅は酔っ払いの大声が四方から飛び交い非常に猥雑な雰囲気だ。
ムーンライト信州は、乗車率半分くらいの状態で新宿からやってきた。

"えきねっと"で見る限り満席との事だが、車内にはそこそこ空席があり私の隣も誰も居なかった。
振り返ると、後ろの列も二席とも空席だったので、恐らく4人グループが今日になって突然キャンセルしたのかもしれない。
後ろに誰も居ないので、遠慮なくリクライニングをいっぱいに倒した。
深夜とは言えまだまだ通勤電車待ちの酔客がごった返す週末のホームを、非日常的なリクライニングシートの列車で滑り出すのは気持ちがいい。
次の八王子でさらに客を拾ったが、私の隣や後列には誰も来なかった。
ここを過ぎればもう客が乗りそうな駅は無いので、一安心である。
さて、今に至っても未だどこで何をするか決めていない。
このまま富山に出て、氷見あたりで一泊して帰って来るか。
あるいは、前回彦根に行ったときの様に中央西線で名古屋に出て関西のどこかで一泊し、東海道で帰って来るか。
でも、そうすると今からホテルを探さなければならないし、折角信州行きの列車に乗るというのに、信州を素通りするだけになってしまう。
あれこれ考えた末、結局宿泊はせず白馬で温泉にでも入り、昼くらいの電車で折り返して今夜はおとなしく帰宅することにした。
そうすればホテル代の出費も無しで済む。
結論が出たのは、既に甲府盆地の夜景が左手眼下にチカチカときらめく頃だった。
今週は割と寝不足の日が多かったのだが、今日はあまり眠くならない。
月曜の晩と火曜の晩に至っては、この頃すっかり固定化してしまった情緒不安定で2泊3日一睡たりともしなかったのだが、そのしわ寄せもない。
韮崎あたりまでは列車は概ね甲州街道に沿って走る。
照明に照らされたアスファルトや、路肩に駐車して仮眠している車を見ると、毎週末の様に深夜の甲州街道を走って出かけていた若い頃を思い出す。
「あぁ、俺もあの辺りで仮眠したっけな~」とか「あすこでガードレール越しに立小便したなぁ~」「あの鈴与のGスタンド高かったな~」等々・・・
この列車は所謂バカ停をやらない代わりに、大変のんびり走る。
立川を出て以降100km/h以上出したと思われるのは、恐らく岡谷と塩尻の間の新線区間だけだと思う。
松本では登山者風の客がかなり降りていった。
前回のひこにゃん旅行の時は冬だったので真っ暗だったが、9月の今は松本を出ると間もなく空が白み始めた。
暁時の北アルプスの方角にはぼんやりと靄がかかり、そこに山稜があることは分かってもその輪郭までは視認できなかった。
だが、稜線がカッと朝日を浴びた瞬間、それは予想していた位置より一層高い地点に威圧的なまでに神々しくその輪郭をあらわにした。
藍色に沈む中腹と空の中間に、あたかも宙に浮くかのごとく、こつ然と姿を現した白い山稜。
息が止まりそうなほどに美しい。
洋の東西を問わず、山が宗教と直結している理由が分かる。
信濃大町では松本よりもさらに多くの登山客が降りて行った。
前回はここで折り返したが、今回は終点の白馬まで乗るので途中仁科三湖の神秘的な朝景を楽しむ事が出来た。
余談だが、『犬神家の一族』1976年版で犬神佐清に成りすました青沼静馬が湖面に足を突き出し溺死体で発見される有名なシーンは、ここ青木湖で撮られた。

本当に、この大糸線の車窓というのは癪に障るくらいステキだ。
昨夜自分が居た世界と、今自分の居る世界とのこのギャップはどうだろう!?
青木湖を過ぎてちょっとした高原を超えると、車窓に建物が増え始め5:40に白馬駅に到着した。

この頃は東京でも早朝は大分過ごしやすくなってきたが、白馬の朝はまた更に清々しい空気に満ちていた。
駅前に出ると、いきなり真正面に白馬岳が鎮座していた。
予想より近く、高く朝日に輝いている。

予報に反して、今日も思い切り晴れそうだ。
「こんな早朝から何処も店などやってないだろう」と思いきや、駅を背にして左に一軒、右に一軒食堂が営業していた。
左側のは蕎麦屋の様だ。店頭の蕎麦汁の匂いを嗅いだら無性に食いたくなったのだが、店は狭く生憎満席の様である。
仕方がないので反対側の食堂へ行ってみたところ、こちらは蕎麦専門店ではないものの"手打ち蕎麦あります"と書かれていたので、ここに入ることにした。
早速蕎麦を注文したら、なんと朝は蕎麦はやってないんだそうだ・・・ うどんならできるという。
折角信州に来たのだから蕎麦を食いたかったが、仕方なくきのこうどんにした。
だが、これはこれで中々美味しかったので一先ずよしとする。

白馬にはいくつかの魅力的な温泉があるが、どこも営業時間は10時頃からだから、まだ大分待たなければならない。
調べたら、"おびなたの湯"というのだけ9時オープンで、しかも駅から一番遠い。
遠ければ遠い分歩きながら時間を稼ぐことが出来るし、いくつかの温泉の中でも最も山に近く景色のよさそうな場所なので、温泉のそばまで行って時間をつぶすにも好都合だ。
6:30頃駅前の食堂を出て歩き始めた。
駅を出ると直ぐになだらかな上り勾配が始まるが、こんな雄大な景色を正面に見ながらの歩行は、寝不足にも関わらず快感だった。

途中から段々道が細くなる。

沢筋を右手に見ながら、気持ちの良い木漏れ日の中をひたすら進むが、9月という事もありツキノワグマの出没が怖い。
羆の様に捕食されることは無いが、あんな爪で出合い頭に引っかかれたらひとたまりもない。
熊よけのために、時々「クマーーー! クマーー!」と叫びながら進んだ。
駅を出て70分。
漸くおびなたの湯に到着した。

時刻は未だ7:40頃。オープンまでまだ一時間以上どこかで時間をつぶさなければならないが、受付小屋に人の気配があったので近付いてみたら何と「営業中」の札が。
中のおじさんに聞いてみたら、本当にもう営業しているらしい。
これはラッキーだ。他の風呂じゃなく"おびなたの湯"にして正解だった。
しかも、本来500円のところ、「今日はね、半額で良いよ」との事。理由は分からないが、安くしてくれるのに文句は無い。
風呂はロケーション抜群の素晴らしい露天風呂だが、生憎頭上はアブ除けと思われる白い蚊帳で覆われていた。
こんな時間なので他の客は誰も居ない。貸切状態だ。

旅行案内には「営業時間9:00~」と記載されているから、誰もこんな早くから営業しているとは思っても居ない事だろう。
この温泉はph11.8の強アルカリ泉。
一般にph値が低ければ低いほど酸度が強く肌への刺激が強くなるイメージがあるが、さすがに11.8ともなるとアルカリとは言えどもこれはまた強酸性泉とは別の感覚で肌に独特の刺激を加えた。
それはこの後帰途の歩行で如実に現れることになる。
この風呂に9時半頃まで浸かり、30分ほど歩いて10時オープンの倉下の湯にも梯子しようかと思ったが、ここがあまりにも居心地が良いので結局10時半頃までここで長湯することにした。
さすがにこの時間になると、他のお客さんも入ってきたので、入れ違いに風呂をあがり駅へ戻ることにした。
ここからだと、白馬駅も一つ北隣の信濃森上駅も同じくらいの距離なので、白馬駅界隈より素朴で静かであろう信濃森上駅へ下りることにした。
帰りはひたすらなだらかな下りなので楽だ。

が、歩き始めて30分ほどすると足の指股が痛くなってきた。
足の爪を切り忘れて、隣の足の指を傷付けてしまう事は稀にあるが、爪はきちんと切ってある。
靴も履き慣れた靴だ。
「これはさては水虫にでも感染したか?」と思ったが、どうやら強アルカリ泉効果で皮膚の弱い個所がやられてしまったらしい。
片道1時間強なので距離としては大したことはないが、歩き続けるうちに段々歩行に支障をきたすレベルに達してきた。
最後の方は、もう露骨にびっこを引いて歩くような有様だった。
予想通り、信濃森上駅方向は甚だ素朴で静かだった。

あたりは、たわわに収穫物を実らせた金色の稲穂と、真っ白な蕎麦の花とが見事なコントラストを織りなす嬉しいワンパターンだ。



その蕎麦の花の向こうに小さな信濃森上駅はあった。

朝6時頃うどんを食べただけなので腹が減った。
駅付近にコンビニが無いかと期待したが、瀬戸内海の島々同様ここでもそのようなものは望むべくもない。
ではせめてビールだけでも、と思ったが雑貨屋もない。
無いとなると、もうどうしようもなくビールを飲みたくなった。
駅前に一軒、営業してるんだか既に10年前に閉店してしまったんだか判別不能な場末感が漂う食堂があった。
抜き足差し足で暗い店内に入った。
客は誰もいないみたいだが、奥に人の気配があった。
「ビールを飲めるか?」とこちらから聞く以前に、先方が気付いて奥から初老の叔母さんが出てきた。
果たして冷蔵庫すら無いんではないか?と不安になるような店だったが、幸いギンギンに冷えた瓶ビールにありつくことができた。
コップに二杯ほどビールを注いで喉に流し込んだら直ちに幸せな気分になった。

喉を潤して落ち着いたところで、何時書かれたのか分からないようなボロいメニューの貼り紙を見上げた。

電車の時間までまだ30分ほどある。
今朝は蕎麦にありつけなかったので、冷やしとろろ蕎麦を注文した。
出てきたのは、イメージしていたのとは全く異なる甚だ見かけの悪いものであった。

凄まじい量のとろろの中に、蕎麦が埋没している感じだった。
だが、これこそ私好みの冷やしとろろ蕎麦だ。
美味いし、量も満足だ。
これだから田舎の駅前食堂は好きだ。
念願の信州そばを食い、満足したところで12:19の電車で帰途に付いた。
信濃森上から乗ったのは私の他に高校生くらいの女の子一人だけだったが、2両編成の車内は割と客が乗っていた。
多分、始発の南小谷で糸魚川からの接続を受けるタイプだったのだろうと思う。
白馬から叔母さん観光客が2人乗ってきて、ボックス席が埋まった。
話しの感じからすると名古屋の人らしい。
私の向かいの一人旅の中年男性も松本から特急しなのに乗換え名古屋に帰ると言っていた。
大糸線沿線の観光地は、意外と名古屋方面からの客が多い。
日が高くなっても仁科三湖はやはり神秘的だった

電車はワンマン運転で、解放されていた最後尾の車掌室の一角を地元の女子高生が陣取っていたが、なんとかいという小さな駅から車掌が常務してきたので、慌てて部屋から出てきた。
車掌は大変小柄で可愛らしい女性だった。
大糸線は単線だが、信濃大町以南では運転本数が多いので、ほとんどの駅で列車の行き違いを行う。
よく見ると女性車掌が乗務している列車が多い。
どこかの小さな駅で、女性乗務員の乗った列車同士行き違ったとき、双方の乗務員が乗務員室窓から手を振っていた。
敬礼ではなく、まるで友達とやるように手を振っていたのが印象的だった。
松本では6分乗継で中央東線の塩山行き普通に乗り換えた。
6両編成という事もあり、先ほどまでの大糸線とは打って変わってガランと空いて居たので、足を向かいの席に投げ出して酒を飲んでくつろいだ。
以前は確かこの電車、高尾まで走っていたような気がするのだが、何時の間にか塩山止まりになってしまったようだ。
松本の辺りでは乗鞍岳の方向に雲がかかっていたので、「このまま天気が下り坂になるのかな」と思ったが、結局その後もガンガンの日照りが続いた。
富士見付近でホンの一時かなり強い天気雨に見舞われたが、それは5分かそこいらの本当に局地的なものに過ぎなかった。

電車が塩山止まりなので、首都圏に帰るにはもう一回どこかで乗り継がなければならない。
小淵沢でこの電車を乗り捨て、30分ほど後に発車する当駅始発のホリデー快速ビューやまなし号に乗り継ぐことにした。
この電車は、215系と呼ばれる全車二階建ての割と上等な車両を使用する乗り得列車の一つだ。
今のところ自由席の乗車位置には数人の人影があるのみだが、接続の小海線が到着してしまうと混雑するかもしれないので、その前に急ぎ立ち食い蕎麦を食べた。
今日は朝からうどん、蕎麦、蕎麦、と麺類ばかりだ。
果たして行楽客を満載した小海線が到着すると、私の後ろにも結構な長さの列が出来た。
だが、収容量の多いダブルデッカー車両はこれらの客を簡単に飲み込み、いざ車内に入ってしまうと精々半分程度の座席が埋まるのみだった。

南アルプスの山稜が見える2階席進行方向右側に座った。右側車窓は西日が入るが、窓はUV加工してあるのでそれほど不快ではない。

左側の窓からも八ヶ岳は全てはっきりと見える。
韮崎のあたりまで来ると進行方向に富士山も視認できた。
今日は素晴らしい好天に恵まれた一日となった。
甲府では意外にもそれほどの乗客は無かったが、勝沼から葡萄狩り帰りと思われる行楽客が大勢乗ってきて、概ね席は全て埋まったようだ。
ここから先列車は深い谷筋を通るため、トンネルの連続。東京の高尾付近までスマホは殆ど使い物にならなくなるので外の風景に集中することにする。
往路は深夜に通り過ぎた桂川沿いの風景も、復路は2階席から十分堪能できた。
それにしても静かな車両だ。
2階建てなのでジョイントの振動があまり伝わってこないのもあるが、電車列車とは言え中間車両がモーターを持たない集中動力方式である点が大きいだろう。
モコモコと車両がきしむ音とエアコンの音しか聞こえない。
中央線は小半径の古い隧道が多いので、トンネルに入るたびに二階席の湾曲したガラス窓に壁面や通信ケーブルが迫りスリルがある。
小仏トンネルを出ると東京都だ。
鉄道は谷底を走るし、今は未だ外が薄明るいので感じないが、山の中腹を行く中央高速で夜暗くなってから帰って来ると、小仏トンネルを抜けた途端空が明るくなり、大都市圏に帰ってきたことを実感できる。
大阪の生駒トンネルと同じように、ここ小仏トンネルは都市圏と田舎とをはっきり隔てる結界の様なトンネルだ。
八王子でかなりの客をおろしたが、短距離利用の客が入れ違いに結構乗ってきた。
ごく普通の通勤電車を待っていた客にとって、思いがけず2階電車がホームに滑り込んで来たのは驚きだったようで、喜々として車内を見まわす人や、特別料金を徴収されやしないか?と気にしている人などもいた。
八王子を出る頃には外はすっかり暗くなった。
9月に入り急に日が短くなったこと実感する。
18:25、ちょうど18時間ぶりに立川に帰ってきた。
我ながら実に見事な青春18きっぷの消化っぷりだった。
これだけ使ってもまだ1日分残っている。
明日はおとなしめに鹿島神宮にでも日帰り旅行してみよう。
「青春18きっぷ 鹿島神宮旅行(未完成)」へ
http://shiunmaru.at.webry.info/201401/article_67.html
この記事へのコメント
北海道の田舎の方で気ままな列車旅をやると、次の列車まで数時間待ち、下手すりゃ帰れない、なんて事になりかねないので、事前に綿密な旅程を組まなきゃなりませんね。
昔は道内隅々まで血管のように鉄道が張り巡らされていたんだけどなぁ・・
信州に行ったら、みそかつ丼ですよ。
たべれば病み付きになりますよ。
おいらはバイクや車ですが、思い付きでの列車旅行もいいですね。
自分で運転する訳でもないので楽ですしね。
北海道も色々な所に列車で行けたらまた違った旅が出来るんですがね。
そこはちょっと羨ましいです。